最低基準の引き上げは、本当に公共の福祉に資しているか

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最低基準は「善意」から始まっている

建築基準法は、公共の福祉に資することを前提に
「最低限ここまでは守りましょう」というラインを定めた法律です。

その「最低限」が、年々一律に引き上げられている様子に
少し違和感を覚えました。

ここでいう最低限とは、理想でも快適でもなく、
「人の命と安全を守るための下限」です。

この前提自体に、異論はありません。

法規は「事故の記憶」でできている

建築基準法や消防法を振り返ると、
多くは過去の事件・事故をきっかけに強化されてきました。

痛ましい出来事が起き、
「二度と同じことを起こさないために」
ルールが一つ増える。

それ自体は、とても人間的で、正しい反応だと思います。

実際、縛り過ぎたものが後に緩和されることもありますが、
全体としては、消防法をはじめ、基準は年々厳しくなる方向に進んでいます。

専門家の負担増

例えば一級建築士は、3年に一度の定期講習が義務づけられています。
これは耐震偽装事件を受けて、2008年から制度化されました。

知識を更新し続けること自体は望ましいことですが、
個人事業主の場合は特に、
講習費や移動・手続きの時間は、そのまま収入減に直結します。

このような「見えにくいコスト」は、
法規が積み上がるほど、確実に重くなっていきます。

基準が上がるほど、家を持つことは遠くなる

建築物省エネ法の適合義務もそうですが、
基準が高度化するにつれ、新築住宅を建てる・買うこと自体のハードルは上がっています。

もちろん、省エネは大切です。
長期的に見れば、社会全体にとってもプラスです。

ただ、
「守るべき基準」が増え続けた結果、
そもそも家を持てる人が限られていくとしたら——
それは本当に公共の福祉に資しているのか、少し立ち止まって考えたくなります。

最低基準が「高すぎる」時代

これまでの何十年、そしてこれからの社会は、
右肩上がりを前提にした時代とは違います。

日本に住む人全てに同じ水準の安全・快適・性能を義務付けるのではなく、
人によっては、リスクを理解したうえで
「少し下げる自由」があっても良いのではないでしょうか。

推奨はしませんが、極端な話、
人はテントでも寝られます。
それを選ぶかどうかは、
本来、個人の自由意思であっても良いはずです。

最低基準が高くなりすぎていないか、
少し過保護になりすぎていないか。
そんな疑問を感じています。

個人住宅こそ、余白があってもいい

ここで誤解してほしくないのは、
省エネをしないことや、安全を軽視することを推奨しているわけではない、という点です。

不特定多数が利用する建物では、
今まで通り、厳格な基準を設けておくべきだと思います。

ただ、個人が住む住宅まで、
同じ水準でがんじがらめにする必要があるのでしょうか。

もう少し、選択の余地があってもいいのではないでしょうか。

自由の幅を広げたい

確かに、過去には凄惨な事故がありました。
それを防ぐ努力は、これからも続けるべきです。

一方で、
基準の積み重ねが、
「家を持つ」という行為を特別な人だけのものにし、
結果として経済や暮らしを停滞させるのであれば、
それもまた、別のリスクだと思います。

もっと個人が選べる自由を残す方向に舵を切ることで
より優しい社会に近づけるのではないかと感じています。

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